類似の単語または同義語 聚楽第

二条城    0.771444

陣所    0.675156

江戸城    0.646036

天守閣    0.636309

内裏    0.635558

洛中    0.633645

西の丸    0.620333

慈照寺    0.616780

大仏殿    0.615005

洛外    0.613155

類義語または同義語 聚楽第

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は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅として1586年(天正14年)2月に着工され、翌1587年(天正15年)9月に完成した。
「聚楽」という名の由来については、『聚楽行幸記』に「長生不老の樂を聚むるものなり」とある。またフロイスの『日本史』には「彼(秀吉)はこの城を聚楽(juraku)と命名した。それは彼らの言葉で悦楽と歓喜の集合を意味する」(松田毅・川崎桃太訳)とある。これら以外に「聚楽」の出典が見いだせないことから、秀吉の造語と考えられている。
を描いた絵画は以下のものが確認されている。
1591年(天正19年)12月に秀吉が豊臣氏氏長者・家督および関白職を甥(姉・日秀の子)豊臣秀次に譲ったあとは秀次の邸宅となった。翌、1592年(天正20年)1月には再度、後陽成天皇の行幸を迎えている。短期間に同じ場所に2度も行幸が行われたのは稀有なことである。文禄3年ごろには北の丸が秀次により増築された。しかし、秀吉は1595年(文禄4年)7月に秀次を高野山に追放して切腹させ、翌8月からを徹底的に破却した。
読みに関して「じゅらくてい」「じゅらくだい」「じゅらくやしき」の各説あるが、「第」の漢音は「テイ」であり、正保期の版本小瀬甫庵の『太閤記』には「」の表記に「じゅらくてい」のふりがなが振られている。同書には「聚楽亭(じゅらくてい)」「聚楽と号し里第(りてい)を構へ」の振り仮名付きの表記も見られることから、当時「じゅらくてい」と呼称した可能性が高い。