類似の単語または同義語 西の丸

二の丸    0.762688

大手門    0.746421

三の丸    0.741259

二条城    0.701812

北の丸    0.692027

本丸    0.663702

上屋敷    0.657394

三ノ丸    0.655321

姫路城    0.653684

櫓門    0.652228

類義語または同義語 西の丸

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西 高松市役所より0.8km、高松市中心部の都心に位置し、北は高松駅、東は市道西町8号線、南はさぬき浜街道(瀬戸大橋通り)、西は市道浜ノ町錦町線によって区切られている。町内はJR高松駅の駅前となっており、レンタカーやビジネスホテルが多く立地しているほかは、飲食店や組合・団体の事務所などが立地している。
西 高松駅は42万人の人口を擁する高松市の中心駅の一つであるほか、四国全土への優等列車が発着するターミナル駅であり、JR路線の中では四国最大の乗降客数を擁する駅でもあるが、もともと宇高連絡船との乗換駅の性格が強かったという歴史的事情や、そのため繁華街や商業の中心からは北に外れた高松港に位置するという地理的事情から、駅前があまり発達せず、このクラスの駅を持つ国内の典型的な駅前と比較するとデパートや商店街といった商業施設の集積が小さくなっている。
西 1928年(昭和3年)に新湊町及び内町の各一部から新設された。町名はこの地が高松城西跡を造成して作られた町であることによる。
西 江戸時代におけるこの地は高松城の城内であり、西と中堀が位置していた。この西では初期の高松藩である生駒氏統治時代(1587年〜1640年)に城主が居住する屋敷があり、その後松平氏統治時代(1642年〜1871年)になると城主の居館は三の丸(現・披雲閣の場所)へ移ったため、西には西御屋敷と呼ばれる屋敷が残った。この頃の西の広さは東西40間(約72.7m)、南北95間(約172.7m)であり、後に大老屋敷や馬場も置かれている。
西 明治維新後、西は大阪鎮台の管轄地となって刑務所が置かれたため、江戸時代からの大老屋敷など城内施設は荒廃する。その後1890年(明治23年)にこの土地と城内施設の全ては旧藩主である松平家へ5000円で払い下げられた。1902年(明治35年)には南部に香川県公会堂が完成し、広大な和風建築と樹齢1000年の老松を有するとして著名となった。そして、1908年(明治41年)には西と中堀約2000坪が松平家から高松市へ寄付されたため、現存していた屋敷など城内施設は一掃され、1910年(明治43年)7月1日には高松駅がこの地に移転したことにより、残る西の北部は鉄道用地となった。