類似の単語または同義語 内裏

大極殿    0.749117

紫宸殿    0.728902

正殿    0.719426

御所    0.694661

大内裏    0.684492

二条城    0.675718

寝殿    0.666028

後醍醐天皇    0.655264

禁裏    0.652224

上皇    0.647404

類義語または同義語 内裏

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(だいり)とは、古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などの異称がある。都城の北辺中央に 官庁エリアである宮城(皇城)があり、宮城内部に 天皇の私的な在所であるがあった。
平安京の北辺には宮城である平安宮(大)があり、その内部の中央東寄りに南北約300m、東西約200mのが存在した。その場所は、現在の京都市上京区下立売通土屋町の付近である。は、宮城の中央政庁である「朝堂院」の北側に位置し、周囲を築地に囲まれ、その内部は北側に後宮、南側に天皇の政務所である紫宸殿や日常生活の中心地である清涼殿などがあった。
平安京は天徳4年9月23日(960年10月16日)の火災で全焼したあと、幾度も火災に見舞われ、やがて里が現れてくると天皇はもっぱらそちらに常住するようになり、の意義は低下してくる。平安宮のは鎌倉時代に焼亡したのち再建されることはなく、南北朝以後はの東に位置する里であった土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)が御所となり、近世になってその内域に紫宸殿、清涼殿などが復元された。現在の京都御所がこれである。
政変や失火のためたびたび焼失し、平安末期頃から再建されておらず、1227年(安貞元年)にはついに大のほとんどを焼失する火災が発生し、跡地は内野(うちの)と呼ばれる荒れ地になってしまった。内野は室町時代に北野社が占拠しその農地となった後、聚楽第が建てられ、その破却の後は聚楽村と呼ばれた農村となり、現代では京都市街地の一部となっている。
門は最も外側に「宮城門(きゅうじょうもん)」が位置し、外郭の門を「宮門(きゅうもん)」、内郭の門を「閤門(こうもん)」という。