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類義語または同義語 eniac

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ENIAC ENIACはアメリカ陸軍の弾道研究室での砲撃射表の計算向けに設計された。1946年に発表されたとき、報道では「巨大頭脳」(Giant Brain) と称された。当時の電気機械式計算機に比べて千倍の計算速度だった。その演算能力と汎用プログラム能力に科学者や実業家は興奮した。
ENIAC ENIACを考案・設計したのはペンシルベニア大学のジョン・モークリーとジョン・エッカートである。設計開発に加わった技術者としては、Robert F. Shaw(ファンクションテーブル)、(除算器/平方根計算器)、アーサー・バークス(乗算器)、(入出力)、Jack Davis(アキュムレータ)らがいる。1987年、ENIACはIEEEマイルストーンに選ばれた。
ENIAC ENIACのスポンサーは弾道研究室だったが、プロジェクト開始から1年後、ロスアラモス国立研究所でマンハッタン計画に従事していた著名な数学者ジョン・フォン・ノイマンがこの計算機のプロジェクトに気付いた。ロスアラモス研究所はENIACに深く関与するようになり、最初にENIACで計算した問題も砲撃射表ではなく水素爆弾に関するものだった。その計算の入出力には約100万枚のパンチカードを必要とした。
ENIAC ニューヨーク州ウェストポイントの陸軍士官学校にはENIACで使われていたデータ入力端末がある。
ENIAC ENIACはモジュラー構造で、個々のパネルがそれぞれ異なる機能を担っている。そのうち20のモジュールはアキュムレータと呼ばれ、十進法で10桁の数値を記憶し、加減算しかできない。数値はそれらモジュール間を結ぶいくつかの汎用バスを通して渡される。高速性を実現するため、数値の転送も計算も結果の格納も次の操作へのトリガも全て可動部品を使わずに行われる。その汎用性の鍵となったのは分岐する能力で、計算結果の符号によって次の操作を選択できるようになっていた。
ENIAC ENIACは17,468本の真空管、7,200個のダイオード、1,500個のリレー、70,000個の抵抗器、10,000個のコンデンサ等で構成されていた。人手ではんだ付けされた箇所は約500万に及ぶ。幅30m、高さ2.4m、奥行き0.9m、総重量27トンと大掛かりな装置で、設置には倉庫1個分のスペース(167m)を要した。消費電力は150kW。そのため、ENIACの電源を入れるとフィラデルフィア中の明かりが一瞬暗くなったという噂が生まれた。入出力にはIBMのパンチカード(読み取り装置とパンチ)を使用可能だった。出力されたパンチカードをIBMのタビュレーティングマシン(IBM 405 など)に読み込ませて印字することができる。
ENIAC 現在のコンピュータは二進法で計算を行うものがほとんどだが、ENIACは内部構造に十進法を採用した。1桁の十進数を格納するのに、10ビットのを使用しており、1桁の記憶に36本の真空管を必要とする。そのうち10本は双三極管で、フリップフロップでリングカウンタを構成している。演算は、リングカウンタが入力パルスをカウントする形で行われ(リングカウンタのビット列は二進数を表しているのではなく、"1"の個数がその桁の値である)、あふれるとキャリーパルスを発生する。これは機械式計算機で数を表す歯車を電子的にエミュレートしたものである。全部で20の10桁のアキュムレータがあり、10の補数表現で負の値を表し、毎秒5,000回の加減算を行える。複数のアキュムレータを接続して同時並行的に動作させることができるので、最高性能はさらに高い。
ENIAC 1つのアキュムレータのキャリーをもう1つのアキュムレータへの入力とし、全体で20桁の演算となるよう構成することもできるが、回路のタイミングの関係で3つ以上のアキュムレータをキャリーで接続することはできない(30桁などは不可能)。アキュムレータのうち4台は「乗算器」の制御下にあり、毎秒385回の乗算が可能である。また5台のアキュムレータは「除算器/平方根計算器」の制御下にあり、毎秒40回の除算または毎秒3回の平方根計算が可能である。
ENIAC 1948年以降、ENIACにもいくつかの改良が施され、例えば簡単なリードオンリーのプログラム格納機構が加えられた。これは本来数表を設定するファンクションテーブルをプログラムを格納するROMに流用したもので、ENIACの特許にも含まれているアイデアである。また、弾道研究室の Richard Clippinger も独自に提案していた。フォン・ノイマンの助力を得て Clippinger は実装すべき命令セットを考えた。Clippinger は3アドレス方式を考えていたが、フォン・ノイマンはより実装が簡単な1アドレス方式を提案。6番のアキュムレータの3桁をプログラムカウンタとして使い、15番のアキュムレータを主アキュムレータとし、8番のアキュムレータをファンクションテーブルからデータを読み込む際のアドレスポインタとして使用する。他のアキュムレータの大部分(1-5、7、9-14、17-19)はデータメモリとして使用する。ENIACでのプログラム内蔵方式のプログラミングは Betty Jennings、Clippinger、(ハーマン・ゴールドスタインの妻)が行った。1948年9月16日、プログラム内蔵方式でのENIACが初公開されている。このときのプログラムはフォン・ノイマンが基本設計し Adele Goldstine がプログラミングした。この改造によってENIACの性能は6分の1となり並行計算能力も失われたが、何日もかかっていたプログラミング作業が数時間に短縮され、性能低下を考慮しても価値のある改造だった。また、計算は電子式だが入出力はパンチカードによる電気機械式であり、この性能差の影響も分析した。それによると、実際の問題は例外なく(入出力が性能のボトルネックとなる状態)であり、本来の並行計算能力を使わない場合でもそれは変わらなかった。プログラム内蔵方式に改造して性能が低下してもI/Oバウンド状態は変わっていない。1952年、高速シフタが追加され、シフト性能が5倍になった。1953年7月、100ワードの磁気コアメモリが追加され、数値表現を3増し符号の二進化十進表現とした。この拡張メモリをサポートするため、新たなファンクションテーブル・セレクター、メモリアドレス・セレクター、パルス成形回路が加えられ、プログラミング機構にも3つの新命令が加えられた。
ENIAC 機械式および電気式の計算機械は19世紀から登場しているが、現代的計算機の時代が始まったのは1930年代から1940年代にかけてのことである。