類似の単語または同義語 鹿苑寺

慈照寺    0.851928

銀閣    0.800441

醍醐寺    0.768429

龍安寺    0.762399

金閣    0.756184

西芳寺    0.750937

東福寺    0.749989

南禅寺    0.742697

相国寺    0.732238

詩仙堂    0.730593

類義語または同義語 鹿苑寺

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鹿 寺名は開基(創設者)である室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなむ。山号は北山(ほくざん)。寺紋は五七桐。義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが、昭和25年(1950年)に放火により焼失し、昭和30年(1955年)に再建された。平成6年(1994年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録されている。
鹿 この地には、鎌倉時代の元仁元年(1224年)に藤原公経(西園寺公経)が西園寺を建立し、併せて山荘(「北山第」)を営んでいた。これらは公経の子孫である西園寺家が代々所有し、同氏は代々朝廷と鎌倉幕府との連絡役である関東申次を務めていたが、鎌倉幕府滅亡直後に当主の西園寺公宗が後醍醐天皇を西園寺に招待して暗殺しようとする謀反が発覚したために逮捕・処刑され、西園寺家の膨大な所領と資産は没収された。このため、西園寺も次第に修理が及ばず荒れていった。
鹿 応仁の乱では、西軍の陣となり建築物の多くが焼失したが、江戸時代に主要な建物が再建され、舎利殿も慶安2年(1649年)に大修理された。明治維新後の廃仏毀釈により、寺領の多くが返上されて経済的基盤を失ったが、当時の十二世住職貫宗承一により明治27年(1894年)から庭園及び金閣を一般に公開すると共に拝観料を徴収して寺収入を確保した。
鹿 昭和61年(1986年)から翌62年(1987年)に金閣の「昭和大修復」が行われたほか、平成9年(1997年)に夕佳亭の解体修理、平成17年(2005年)から19年(2007年)に方丈の解体修理も行われている。
鹿 東側の室は、正面側2間と広縁境を舞良戸とする。東室の内部には初層から三層をつなぐ階段があり、上り階段は三層の北側の縁に通じている。二層の東面と西面はすべて板壁とし、北面は西から2間目(須弥壇の背後)を板扉とするほかは板壁とする。三層は「究竟頂」(くっきょうちょう)と称し、方3間の1室で、仏舎利を安置する。初層が蔀戸を用いた寝殿造風、二層が舞良戸、格子窓、長押を用いた和様仏堂風であるのに対し、三層は桟唐戸、花頭窓を用いた禅宗様仏堂風とする。高欄も二層のそれが和様であるのに対し、三層のそれは逆蓮柱を用いた禅宗様である。三層の柱間装置は東西南北とも同じで、中央間を桟唐戸、両脇間を花頭窓とする。三層は天井や壁を含め内外ともに金箔張りで、縁と内部の床面のみ黒漆塗とする。