類似の単語または同義語 空城

暴終    0.538420

死時    0.532757

連環    0.528135

    0.523999

苦肉    0.519169

降魔    0.471631

呑狼    0.468816

    0.468801

    0.459086

楊令    0.453343

類義語または同義語 空城

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計(くうじょうけい)またはの計(くうじょうのけい)は兵法三十六計の第三十二計にあたる戦術。
あえて自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘う計略のこと。敵方に見破られた場合は全滅の危険性があり、心理戦の一種である。
『三国志演義』では蜀の諸葛亮が野戦で魏に敗れた際、蜀軍は魏軍と比べて圧倒的に兵力が少なかった。諸葛亮は一計を案じ、城に引きこもって城内を掃き清め、城門を開け放ち、兵士たちを隠して自らは一人楼台に上って琴を奏でて魏軍を招き入れるかのような仕草をした。魏の司馬懿は諸葛亮の奇策を恐れてあえて兵士に城内に踏み込ませなかったという。
日本では、戦国時代において、徳川家康が窮地を逃れた際の事例がある。1573年、三方ヶ原の戦いで徳川軍は武田信玄率いる武田軍に大敗し、壊滅状態で浜松城に逃げ帰った。武田軍はこれを追撃するが、家康は「あえて大手門を開き、内と外にかがり火をたかせ、太鼓を叩かせた」ところ、それに警戒した武田軍は兵を引き挙げ、浜松城は落城を免れた。これは武田軍の指揮官の山県昌景や馬場信春が、信玄の教えによって中国古来の孫子・六韜・三略などの兵法に通じており、「計」(及び関門捉賊や欲擒姑縦)をよく知っていたためであるとされる。
正史では、漢中争奪戦の際、蜀の将軍・趙雲が計を使って曹操軍を撤退させたのが初である。敵の食糧を奪いに行った黄忠が帰陣の時間を過ぎても戻って来ないので、趙雲は残った少数の部下を率いて黄忠の応援に向かった。ところが黄忠の軍が見つからないうちに突然、趙雲軍は曹操軍の大軍に遭遇したが、無謀にも馬を敵の大軍の中に突入させたところ、驚いた曹操軍は乱れて退却し始めた。暴れ回っていた趙雲は、これを見ると馬の首を反転させるや、今度はまっしぐらに自分の陣に向かって退却した。それを見ていた曹操軍は一斉に追い始め、趙雲の陣近くまで達するも、急に指揮官が馬上から手を上げて、全軍を静止した。不気味にも趙雲の陣の門が開かれ、中が静まりかえっているからだった。指揮官は「おそらく伏兵がいるに違いない」と考え、退却を命じた時、突然後方から石や矢が飛んできた。やはり趙雲軍は陣の外に伏兵を配置しており、曹操軍は散々な目にあって逃げ去って行ったとされている。