類似の単語または同義語 日本

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我が国    0.460208

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類義語または同義語 日本

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」という漢字による国号の表記は、列島が中国大陸から見て東の果て、つまり「日の本(ひのもと)」に位置することに由来するのではないかとされる。近代の二つの憲法の表題は、「国憲法」および「大帝国憲法」であるが、国号を「国」または「」と直接かつ明確に規定した法令は存在しない。ただし、工業規格 (Japanese Industrial Standard) では国、英語表記をJapanと規定。更に、国際規格 (ISO) では3文字略号をJPN、2文字略号をJPと規定している。また、国外務省から発給される旅券の表紙には「国」の表記と十六一重表菊を提示している。法令でを指し示す表記には統一されておらず国、本邦、わが国、などが混在している。
室町時代の謡曲・狂言は、中国人に「ニッポン」と読ませ、人に「ニホン」と読ませている。安土桃山時代にポルトガル人が編纂した『日葡辞書』や『小文典』等には、「ニッポン」「ニホン」「ジッポン」の読みが見られ、その用例から判断すると、改まった場面・強調したい場合に「ニッポン」が使われ、日常の場面で「ニホン」が使われていた。このことから小池清治は、中世の人が中国語的な語感のある「ジッポン」を使用したのは、中国人・西洋人など対外的な場面に限定されていて、日常だと「ニッポン」「ニホン」が用いられていたのでは、と推測している。なお、現在に伝わっていない「ジッポン」音については、その他の言語も参照。
『新羅本紀』では「670年、倭国が国号をと改めた」とされている。「倭」と「」の関係について、『書紀』によれば、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代のでは、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「」に変更し、当初はこれを「ヤマト」と読んだとする。
通常、の歴史は、列島における歴史と同一視される。しかし、厳密な「」の成立は、国号にあるように7世紀後期であり、それまでは「倭国」と呼び記されていた。この倭国がどのような地理的範囲あるいは系統的範囲をもつ集団であるかについては史料に明確にされておらず、多くの学術上の仮説が提出されている。倭国と国との関係は諸説あり、「の歴史」と「列島の歴史」とを明確に区別して捉えるべきとする考えも示されている。
時代の区分は、考古学上のものと歴史学上のものとがある。
列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前以前ないし約3万年前に始まったとされる。当時の列島は、アジア大陸と陸続きで、西方の華北や北方のシベリアとの文化交流も見られた。約3万年前には朝鮮半島と海峡で隔たり、約1万2千年前の前後に最終氷期が終わると6千年前頃まで100m以上の海進が進んだ(縄文海進)。この時期の住民が縄文人である。この後も列島と大陸との間に小規模ながらも広範囲に通交・交流が行われ、巨視的には、列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあった。だが、東アジアの最東方に所在する大きな島国、という地理的条件により、黄河・長江流域の文明を中心に早期から発展していた中国と比べると、文明の発達度という意味では後進地域となっていた。
成立当時の倭の支配地域は、列島の全域に及ぶものでなく、九州南部以南および東北中部以北は、まだ領域外だった。九州南部は、8世紀末に組み込まれた(隼人)が、抵抗の強かった東北地方の全域が平安時代後期に(延久蝦夷合戦)領域に組み込まれ、倭人、隼人、蝦夷人が人となった。特に8・9世紀は、蝦夷の征服活動が活発化すると共に新羅遠征も計画されるなど帝国としての対外志向が強まった時期だが、10世紀に入り、こうした動きも沈静化した。
19世紀後半から20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、東アジアに一定の勢力圏を築く必要に迫られ、日清戦争や日露戦争を経て勢力圏の確保を進めた。日露戦争の勝因として1902年イギリスと日英同盟を締結したことが大きかった。両戦争を通じ、台湾・澎湖諸島および南樺太を領土に収め、関東州の租借権を獲得した。その後、1910年(明治43年)に韓国併合が実施された。
1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)にかけてトカラ列島や奄美群島、1968年(昭和43年)に小笠原諸島、1972年(昭和47年)に沖縄県の施政権がそれぞれアメリカから返還された(本土復帰、沖縄返還)。
建国の時期として、この他に「」国号が定められた時期(飛鳥浄御原令ないし大宝律令の成立)や大政奉還がなされて近代国家の建設が始まった明治維新の時期などが挙げられることもある。しかし、国家としてのは、長い歴史的な経緯を経て形成され、明確な建国の画期を見出すこと自体が困難と言え、主観的なものとなりがちである。