類似の単語または同義語 於院

匀市    0.777711

南川目    0.745106

宇郡    0.737417

薛安    0.723807

ホテルニューアルカイック    0.720605

曰第    0.717750

宇多川    0.714043

장도영    0.711636

牟宜    0.702212

於岐    0.691229

類義語または同義語 於院

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新納院 かつて日向国は 5郡8院と呼ばれ、「宮崎郡」、「臼杵郡」、「児湯郡」、「諸県郡」、「那珂郡」の5郡と、「真幸院」、「三俣院」、「穆佐院」、「新納院」、「飫肥院」、「土持院」、「櫛間院」、「救仁院」の8院で構成されていたが、これは後のことであり、『日向国図田帳』によると「正院」が発足した際は、「真幸院」、「三俣院」、「穆佐院」、「新納院」、「都」、「櫛間院」、「救仁院」の7院で、正院の発足時より「都」と共に児湯郡内をその領域とした。
文治地震 京都の震害が著しく、『醍醐雑事記』には白河辺りの諸御願寺や京中の殿屋などで九重塔や九輪などが大破した様子が記される。『吉記』には白河の法勝寺で金堂廻廓、鐘楼、阿弥陀堂および九重塔などが破損した被害が記述されている。その他、東寺では破損した鐘楼を文治3年(1187年)に修理した記録や『仁和寺御伝』による六条殿、一字金輪、御所の修理の記録がある。
土持氏 一族が最大に繁栄した頃は、当主は太郎土持宣綱で平安末のこと。土持七頭(ななかしら)と呼ばれ、縣(あがた)・財部(たからべ)・大塚・清水(きよみず)・都於郡(とのこおり)・瓜生野(うりゅうの)・飫肥(おび)に勢力を誇った。引き続き、鎌倉時代になると、幕府御家人として、宇佐宮荘園における地頭職を拝した。(日向国図田帳・写し、建久八年・1197年、島津家文書)に依ると、臼杵郡内塩見三十五丁・富高(とだか)三十丁・岡富庄八十丁・高智尾社八丁・三宅郷二十丁・三納郷四十丁・間世田八丁・右松保田代二十五丁、児湯郡内国分寺田二十丁・法元寺田二十丁・尼寺田十丁・安寧寺田十丁、那珂郡新名爪別府八十丁、宮崎郡内国富本郷二百四十丁・今泉三十丁・那珂二百丁・田嶋破四十丁・袋十五丁、佐土原十五丁、倍木(へき)三十丁、新田(にうた)八十丁、下富田(しもとんだ)百三十丁・穂北郷七十丁・鹿野田(かのた)郷五十丁、・都百五十丁。以上が宣綱の地頭職の地であると記されている。