類似の単語または同義語 北関東

南関東    0.694133

関東    0.660324

東北    0.622091

甲信越    0.619544

信越    0.602291

北陸    0.572946

宇都宮    0.564172

栃木    0.561128

高崎    0.548981

甲信    0.541416

類義語または同義語 北関東

Article Example
しかし、欧米列強による帝国主義(グローバル化)の波は日本国内に覇道を再起させ、江戸幕府の王道的統治機構を麻痺・崩壊に至らしめた。こうして関東地方は再び大きな主を失うこととなった。倒幕運動・戊辰戦争といった武力闘争の末に誕生した明治政府は国家の近代化・列強化、そして中央集権化を「民主的な法」をもって急速に推進し、明治政府の本拠地となった江戸は、中央政府の「近代国家・日本」の象徴・首都東京たるべく急激に改造され、それに見合う「東京文化」が新たに形成された。しかし、その表舞台となった関東地方に根付く旧来の民衆、都市構造、文化といった要素は、「東京文化」に相反するものであり、「東京」との距離が生じる結果となった。
一方、前九年の役、後三年の役で奥州安倍氏の鎮圧で功を挙げた清和源氏流新羅三郎源義光の長男・源義業は常陸国久慈郡佐竹郷(現在の常陸太田市)を領して佐竹氏を名乗った。また義光の三男・源義清は那珂郡武田郷を領して武田氏を名乗った。武田氏は大掾氏と競合して朝廷から牽制され甲斐国に移ったが、佐竹氏は大掾氏の娘を嫁として土着し戦国時代には戦国大名となって常陸国・下総国を支配したが、関ヶ原の戦いで西軍に就いたため久保田藩に転封された。江戸時代、この地には水戸徳川家が配され、日本橋からは水戸街道が整備された。
かつての毛野川・小貝川河口付近であり、南部は香取海や湿地帯であった。江戸時代以降に開墾され、新田となった土地も多い。現在ではベッドタウンとして開発され、東京都区部や南関東が生活圏に含まれる地域となっている。
その後、清和源氏を称する徳川家康が征夷大将軍に就き江戸の地に徳川幕府を開くと、江戸のお膝元として繁栄を享受した。江戸時代、家康は自分の廟所としてこの地を選び、その子秀忠は家康を祀って東照宮を建立、さらに孫・家光は東照宮を今日の姿に大造替した。これに伴って、江戸・京・仙台方面から家康の廟所・日光東照宮に参詣するための交通路(日光街道・日光例幣使街道、日光北街道など)が整備され、徳川家・諸大名・京の勅使など当時の要人達が行き交う要衝となると同時に、地域政治の中心地でもあった宇都宮は江戸から那須を経て陸奥国・白河へ向かう奥州街道の分岐点となり、江戸幕府にとって軍事的最重要拠点の一つとなった。宇都宮城は時の領主・本多正純が近代的平城に大改築し、また宇都宮の町は幾重もの堀と周囲に配置された寺社群に囲まれた要塞都市に生まれ変わった。幕末には新政府軍と旧幕府軍との抗争の場となり、戊辰戦争では新政府軍は宇都宮・六道の辻から宇都宮城・宇都宮二荒山神社(崇神天皇第一皇子である豊城入彦命を祭祀する)に向け大砲による攻撃を行い、旧幕府軍を掃討した(宇都宮戦争)。この戦闘で二荒山神社社殿は焼失したが、明治年間に政府によって再建された。廃藩置県では宇都宮県、日光県、茂木県、真岡県等を経て栃木県に編入され、1884年からは県都として栃木県地域の行政・経済の中心となっている。
古くは街道東山道が通り、江戸時代には奥州街道、現在は東北新幹線・東北自動車道・国道4号線などが整備され、中央と陸奥国を結ぶ交通の要衝であり、那須や黒羽、大田原など、那珂川流域を中心に豊かで安定した地域が形成されてきた。奥の細道紀行では松尾芭蕉も長期滞留した。にあっては珍しく、江戸時代にあって中世来の豪族に支配権が認められた地域。藤原北家長家流・那須諸氏が江戸時代以降も黒羽藩や大田原藩としてその基盤を維持した。