類似の単語または同義語 大阪

京都    0.778858

名古屋    0.672451

神戸    0.670651

東大阪    0.633150

関西    0.613372

東京    0.604281

吹田    0.597456

札幌    0.591530

守口    0.584733

門真    0.577081

類義語または同義語 大阪

Article Example
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある)。このためにこの説は信憑性に乏しい。
ただし、「府庁所用の官印に、府印、大坂府印の両様あるを以て見れば、坂阪二字の變更は偶然に起こりしにて、必ずしも深き理由ありしにあらざるべし。」と、昭和2年再版発行「市史 巻1」は語る。
織田信長と本願寺の間に戦われた石山合戦で1580年に顕如が退去した後の1583年には、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築き、城下に配下の大名の屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、上町台地から平野に広がる大坂の町を築いて政治・経済の中心都市とした。このため、安土桃山時代のうちの豊臣政権期を指して「大坂時代」と呼ぶ人もいる。なお、大坂築城の際に生國魂神社は現在地に移転させられている。
1869年には北・南・天満の三郷から東・南・西・北の4大組に再編され、1875年に大区小区制が施行されると、順に第1~4大区となり、1879年に郡区町村編制法が施行されると、再び東・南・西・北の4区となった。1889年には市制施行により府管内の市となる(市制特例参照)。市はその後周辺の町村を合併して、1925年にはほぼ現在の領域に広がった。さらに府は周辺の県を統合した後、1887年に奈良県を分離して現在の府の領域となった。この結果、元来は都市名であったの地名は現在のように広域を指すようになる。なお、第二次世界大戦終了後の1950年代中頃にも周辺の町村を合併し、また後年に湾岸部の埋立などが行われたため、現在の市の領域はさらに広がったが、それ以後大きな市域拡大は行われず、政令指定都市の中でも予算規模等上位にありながらも非常に面積の小さい市となっている。
全国からあらゆる食材が集まる「天下の台所」であり、瀬戸内の海産物や近郊の野菜にも恵まれ、日本料理の基礎となった食文化が栄え、「の食い倒れ」(人は破産しそうなほど飲食に贅沢をするという意味であるが、人は食べ物自慢にうるさい、には食べ切れないほど美味いものが沢山ある、といった意味でも使われる)という諺まで生まれた。しゃぶしゃぶや懐石料理、うどんすき、寿司や割烹などの本格的な日本料理の発祥地としてや、たこ焼きやお好み焼き、串カツ、イカ焼きといった、“粉もん”を中心とした庶民の味まで、さまざまな料理が楽しめる。現在では廃れた最古級の発祥地として蕎麦があり、これは関東では「砂場」の蕎麦屋の名門屋号として知られている。
昔から“の味”として親しまれてきたものとしては、鱧、フグ、きつねうどん、まむしなどがある。特にフグは全国消費量の約6割がでの消費であり、代表的な料理法としてはてっちりやてっさが挙げられる。
現在の市の基である大坂の町は、飛鳥時代の難波長柄豊埼宮(なにわのながらのとよさきのみや)や、住吉津(すみのえのつ)難波津(なにわのつ、なにわづ)を起源に持つ港湾都市であった。江戸時代には現在の市中央部を広く町域とする大都市であり、日本経済の中心だった。
のちの「大坂」が位置する上町台地は、古代には「難波潟」と呼ばれる葦原の広がる湿地に突き出した半島状の陸地で、浪速(なみはや、なにわ)、難波(なにわ)、浪花(なにわ)、浪華(なにわ)などと書き表されてきた。
上代から奈良時代にかけて難波の地がこのように重要視されたのは、湾が西日本の交通の要である瀬戸内海の東端に位置している上、当時飛鳥古京・藤原京・平城京などから最も近い港湾であることによる。住吉津を管理する住吉大社は大和朝廷直属の社として別格であった。
明治維新の直後は廃藩置県によるいわゆる「大名貸」の貸し倒れや地租改正による金納化(結果的には農民による米の自由売買につながった)によって、経済は大きな打撃を受けたが、経済産業の近代化とともに次第に西日本経済の中心地としての地位を確立していくことになる。